2009年12月13日日曜日

歌舞伎座12月公演: 引窓、野田版鼠小僧

最近歌舞伎ブログになりつつありますが、たしかにはまりまくっているのでそれでもいいかな。

さて、歌舞伎座さよなら公演に12月も行ってきました。今月は、昼の部の野崎村が見たいんだけれど、メインの大江戸りびんぐでっど(宮藤官九郎作・演出)があんまり見たくないので、幕見で行こうか、まだ悩み中です。私の行った夜の部の演目は以下のとおり。
 - 双蝶々曲輪日記 引窓
 - 雪傾城
 - 野田版鼠小僧(野田秀樹作・演出)

今回は西側サイドだったので花道がまったく見えずちょっと残念。
最初の引窓は初見でしたが、その前の角力場を見たことがあるのですんなりと筋に入り込めました。武士に任命されたばかりで手柄をたてたい十兵衛(三津五郎)が、義母の実子である濡髪長五郎(橋之助)を見逃すその心が一番の見せどころなんですね。最初はうれしさに舞い上がっている感じのある十兵衛が、長五郎を見つけていきりたち、その後事情を知って深い情けを見せる、その心の変化がとても伝わってくるいいお芝居でした。三津五郎のお化粧ってちょっとかわいいところがあって、もとは遊び人だった(奥さんは元遊女)だったのが納得のいく感じで合っていました。義母は右之助。あまり注目したことがなかったけれど、小さいおばあさんがぴったりはまっていて、とてもよかったです。歌舞伎らしい一幕でした。

雪傾城は、傾城の芝翫が孫全員と共演という舞踊物。一番上は勘太郎と七之助で、きれいだし安心して見ていられるのですが、その下の子たちはあんまりお金を払ってみるものじゃなかったような。「かわいい」という声もあったけど、私はそういう感覚があまりないので、よくわかりませんでした。主役の芝翫も、私に見えるところではあまりたいした踊りを踊っているように見えず、髪型もあって色気よりちょっと妖怪めいた感じが……。どうも、まだ至芸を理解するところまでいけていないので、昔の歌右衛門も今の雀右衛門も芝翫も、どうしてもきれいだとは思えない自分がいるのでした。花道が見えたら、勘太郎と七之助の花道での踊りも見えて、もう少し満足度が上がったのかも?

野田版鼠小僧はとっても期待していきました。たしかに、あちこちで笑えたし、独特のテンポも満喫できたし、同じセットを回しながらうまく場面転換していくのはさすがと思ったし、演劇としてはきれいに完結しているし、といいところはたくさんあったのですが、うーんやっぱりこれは歌舞伎じゃないなあという印象。その理由はやっぱりテンポでありできすぎたストーリーであり、つまりは野田秀樹の面目躍如の部分なんだけれど、それがために歌舞伎ではない。昔は普通のお芝居(帝国劇場やら日生劇場やらセゾン劇場やらでやってたような)も見に行ったものですが、むしろそんな感じ。野田秀樹の出身である小劇場の世界でもなく、なんだか昔「がめつい奴」って見たっけなあ、なんて連想されてしまいました。「がめつい奴」は期待していなかったわりにとってもおもしろかった記憶が。というわけで、別に演技に文句があるわけでもなく、楽しかったのですが、歌舞伎を見た満足感にはどうにも欠ける12月の観劇でした。

以上で終わらせればいいのに蛇足。鼠小僧に足りなかったのは、見得であり(見えなかったけど)花道での芝居だと思います。歌舞伎のゆるいテンポには、歌舞伎を見はじめた最初のうちはイライラして「早く話を進めてくれ」って思ったりもしたものだけど、そのうちその間を持たせることこそが役者の力なのだと思うようになってきて、前後のストーリーはさておき、その場をいかに見せているかを楽しめるようになったものです。その場を見せる最たるものが見得で、流れをぶったぎっても「こっちを見ろ」ってやっているわけで。それがないとなんか違う。たとえば鼠小僧で私が一番うまいなーと思っていたのは大岡越前役の三津五郎(いや、ほんとにうまい)だったのですが、でも彼のテンポはやっぱりかなり歌舞伎のもので、どうも周囲の普通の時の流れとはちょっと違っていて、せっかくうまいのに浮いているように感じられてしまうのが残念だったのでした。花道も、単なる通路になっていて、(全然見えない席にいたのでありがたい面もあるけど)歌舞伎の舞台の立体感があんまり活用されてないんだな、と感じられてしまったのでした。それから、特にお白州と最後の独白のシーン、思い切り客席を向いて客席に語りかける演じ方は、私のどうも苦手な小劇場的な雰囲気がぷんぷんしていて、それも「これって歌舞伎じゃない」と感じる一因でした。歌舞伎って、芝居の中では客席に直接語りかけないものだと思います。だからこそ口上などの役者と観客が直接向き合う機会がまたうれしいわけで。勘三郎がうまいから白けることはなかったんだけど、なんだか求めているものと違うなあ、と思ってしまった。

そう。たとえば、七之助のおしなはすごくよかったと私は思っていて、歌舞伎で鍛えられた動きや声の出し方を活用しつつコミカルに演じているのがよかったし、上でも書いたように三津五郎はなんともうまかったし、勘三郎も出ずっぱりなのに大熱演だったし、全体のストーリーはなかなかのものだったので、このお芝居自体はけっこう普通に見に行っても悪くないものだとは思ったのです。ただ、歌舞伎座で歌舞伎を見るつもりでいた人間としては「歌舞伎が見たかったなぁ…」とやっぱりもう一度つぶやきたくなっちゃうのでした……あーなんだかすっきりしないなあ……

2009年11月15日日曜日

歌舞伎座11月公演: 忠臣蔵

昼夜で仮名手本忠臣蔵の通し狂言でした。11月10日に昼の部、15日に夜の部を見てきました。どちらも3階席だけど、花道の見得を切るあたりが少しは見えたのでよかった。

昼の部は、【大序】鶴ヶ岡社頭兜改めの場、【三段目】足利館門前進物の場、松の間刃傷の場、【四段目】扇ヶ谷塩冶判官切腹の場、表門城明渡しの場、【浄瑠璃】道行旅路の花聟 でした。
高師直が塩冶判官の妻、顔世御前に横恋慕して塩冶判官をいびり、松の廊下の事件が起こって、判官が切腹するまでのメインストーリーを、大星由良之助が城を明け渡すシーンでしめくくって、最後にお軽勘平の道行があります。高師直を富十郎、塩冶判官を勘三郎、由良之助を幸四郎という顔合わせ。
大序は初めて見ました。ゆっくりゆっくりと(47回のつけと共に)開く定式幕、義太夫で名前が出ると顔を上げてゆく俳優たち。かっこいい! また、足利直義の七之助がよかったです。おっとりと歩く姿がいかにも。大序から三段目で、むしろ温厚な判官に対して、梅玉演じる桃井若狭之助が血の気の多い役回りで今にも師直に切りかかりそうにまでなります。三段目までしか出てこないので、松の廊下の刃傷の後この人はいったいどう思ったのだろう……と、ちょっと気になっちゃうところ。魁春の顔世御前を含め、主なところはみなうまくて、舞台の使い方も見事で、さすが完成された芝居だな、と思いました。が、勘三郎はやっぱりもっと下世話で明るい話の方が好きだな~。幸四郎はあまりにぴったりで、言うことなし。この人はいまいち好きではなくて、時代物の立役だとこわすぎる気がするし、世話にくだけるにはえらすぎる気がするのですが、忠臣蔵はすごくぴったりきました(夜の部の平右衛門も)。

夜の部は、
【五段目】山崎街道鉄砲渡しの場、二つ玉の場、【六段目】与市兵衛内勘平腹切の場、【七段目】祇園一力茶屋の場、【十一段目】高家表門討入りの場、奥庭泉水の場、炭部屋本懐の場、引揚の場 でした。勘平を菊五郎、定九郎を梅玉、六段目のお軽を時蔵、由良之助を仁左衛門、七段目のお軽を福助、お軽の兄寺岡平右衛門を幸四郎という顔合わせです。
五段目、定九郎の苗字がだと初めて知って、塩冶家中の裏切り者家老斧九太夫の息子と判明。五段目から七段目のつながりはお軽勘平だけではなかったんですね。悪者は全部きれいさっぱり成敗されちゃうんだ、この芝居。勘平の出てくる段は悲劇そのものなのですが、中にいろいろとおかしさを醸し出すシーンがあって、笑いも出つつ堪能しました。芝翫のお才がいい味を出してました。さすがですねえ。歌舞伎を見てると、自分も煙管を吸ってみたくなります。そう言えば父方の祖父は吸ってたっけ。祖父の家には火鉢もあったっけ。なつかしい……。
楽しみにしていた七段目、いやあ堪能しました。仁左衛門はよいなあ。紫地に渋茶の裾まわしの紋付羽織(片脱ぎにしていて、羽織紐は白)の似合うことったら。お軽の福助がかわいらしくてとてもよかった。なんだか、福助はいつも自然に女性らしくて、見ていて違和感がなくていいです。それにしても仁左衛門がよかったなあ。
討ち入り以降は素直に劇を楽しみました。殺陣が見事。そして、引揚では、ずらっといならぶ義士たちがきちんと46人(勘平は死んでいるのでこれで勘定は合っている)いるのに感心。一緒に見に行ったるみちゃんが「馬の役が大変だね」としきりと感心してました。確かに、特に後ろ脚は大変だよね。忠臣蔵って、いっぱい人が死ぬけど、義士たちもこれから切腹だけど、すっきり明るい幕切れに大満足で帰ればいいんだなあ、と改めてなんだか感心したのでした。

2009年11月5日木曜日

新橋演舞場11月公演: 盟三五大切

通し狂言「盟三五大切」と舞踊「弥生の花浅草祭」でした。

舞踊はくわしくないのですが、「弥生の花浅草祭」は三社祭の山車にのった人形の踊りという趣向で、ふたりが4種類の踊りを踊り分けるというもの。変化があって素直に楽しめました。松緑愛之助がそれぞれ個性的で、3番目の通人と野暮大尽なんてあまりに対照的でおかしかった! 最後の石橋での毛振り、松緑がやたらぐるんぐるんと元気に回しててパワー全開でした。

盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」は、「東海道四谷怪談」で有名な鶴屋南北作。四谷怪談の後日談でもあり、忠臣蔵番外編ともなっています。さらに、当時流行っていたという五大力物でもあるという盛沢山なスプラッタ。五大力物というのは、実際にあった薩摩藩士による五人切り事件をモデルにした、「女に裏切られてカーッとなって大量殺人してしまうお話」のことだそうです。また、「五大力」とは江戸時代に女性が貞操の証として持ち物などに書いた言葉でもあります。

というわけでこのお芝居は、芸者小万に入れあげて身上をつぶし、さらに討ち入りの義士に連なるために用意した100両を小万の夫、三五郎にだましとられてしまい、挙句の果てに「お前こそ間男だ」とののしられて、カーッとなって5人切り殺したのに肝心の小万三五郎だけは取り逃がし、転居先まで追いかけて小万とその赤ん坊、乳母まで惨殺し、小万の首を前に食事を始めてしまうという、とんでもない殺人犯、薩摩源五郎の話なのです。が、そこで話は終わらない。お互い知らなかったけれど源五郎(実は不破数右衛門)は三五郎の父の主人でした。三五郎は父に勘当を解いてもらうため、主に必要な100両を調達しようとだましを働いたというわけ。それが判明して、三五郎は自害して源五郎の罪までかぶって死んでいきます。一方、源五郎は晴れて義士の一員となって仇討ちに加わるのでした。

いやあ、人が死にまくる。映画だとどうかと思いますが、どうも歌舞伎は人が死ぬほどおもしろくなります。……って、よく考えると「源五郎やばくない?」って話だよね。うーむ。源五郎が実は不破数右衛門って、忠臣蔵の中でも人気の義士だよね。勘平の切腹に立ち会うのもたしかこの人。うーむ、うーむ。……しかし、そこでよく考えてはせっかくの落ちが落ちません。最後でつじつまがあってくれてよかったぐらいに思うべきです鶴屋南北。とにかく陰惨な四谷怪談より好きかもしれません。ギミックはないけど。

さて、それで今回は源五郎を染五郎、三五郎を菊之助、小万を亀治郎という配役でした。とにかく、菊之助の三五郎がかっこよくって艶っぽくって、小万といちゃいちゃしているシーンとかすごかったです~。三役それぞれ見せ場があっていい芝居だと思うのですが、なんとも三五郎にやられました。ああかっこよかった。菊之助ってあんなにかっこよかったかなあ……もしかして、立役やったのをはじめて見たかもしれません。女形でもわりと好きでしたが、もうきゅーってなっちゃいました。
小万が(たぶん本当は三五郎のため?)五大力と腕に彫った彫り物を見て源五郎は自分だと思いこんでよけい舞い上がってしまうわけですが、後で三五郎が自ら三と七を彫り足して三五大切としてしまうくだりなんかもいいですね。ここで題名を思い出すわけです。「かみかけて三五大切」。なるほど!

運よく、今回は一階最前列のはじっこ(花道側)だったので、舞台上がよく見えるのももちろん、役者さんの後姿だの足元だのをたっぷり見れて、自分が着物を着るときの参考にもなりました。芸者や花魁が冬でも裸足なのは、素足の美しさを誇っていたからだそう。ええと、それはまねできないです……寒がりなもので。
それから、ひとつ書き忘れてました。花道の下から見上げた、小万の首をふところにかかえて帰る源五郎の顔。しーんと冷たく酔ったような、焦点の定まらない目で首を見つめてかすかにうれしげな笑みを浮かべてふらふらと行くその顔がものすごく印象的だったのです。きっと一生覚えてるだろうな……

2009年7月26日日曜日

歌舞伎座7月公演: 天守物語

るみちゃんと3階A席わりと中央でした。
海老蔵を意識してみるのは初めてでしたが、たしかにかっこいい。すっきり二枚目な感じが似合いますね。好みかと言われると、別に……なんだけど:P
というわけで、夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ) 。序幕:住吉鳥居前の場より、大詰:長町裏の場まで。団七を海老蔵、徳兵衛を獅童で若々しい感じでしたが、全然大阪っぽくは感じられなかったのでした。このお芝居を誰がやると大阪っぽくなるのか、よくわからないけれど……。団七登場で、すごいぼうぼう眉毛だったのがおかしかったです。大詰では、義平次があまりにいつまでも死なないし、その後団七がゆうゆうと血を洗い流しているしで、「早く逃げないとおみこしに見つかっちゃうよう」とこっちがあせってしまったのでした(笑)
猿弥演じた釣舟三婦がしぶい極道上がりって感じでとてもよかったです。この公演では勘太郎の女形が続きましたが、こちらのお辰は見かけもお芝居も、「小股の切れ上がった」雰囲気たっぷりですばらしかったです。

後半は天守物語。鏡花の歌舞伎は、夜叉が池、海神別荘、高野聖は見ていますが、なぜかこれは初見だったので、ものすごーーーく楽しみでした。玉三郎の富姫、海老蔵の図書之助で見られて、本当にうれしい! 前半の露を釣るくだりや亀姫(勘太郎)一行が遊びにくるくだりで、地上とは違う価値観の世界が形作られていくのが見事でした。亀姫の駕籠が空をびゅーんと飛んでくるのが後ろのスクリーンに映るのはちょっといただけなかったけど。そこまで説明しないほうがよかったのではないかと。図書之助が出てからは、もうまったりとした純愛の世界を満喫。それにしても、玉三郎ほど新歌舞伎独特の言葉遣いが自然に聞こえる役者さんはいないです。ちょっと切り口上っぽい、夏目漱石などにも感じるあの直截的な感じが、玉三郎にかかるとなぜかとっても色っぽくなるのが不思議。
見終わって、鏡花物の中でも天守物語が一番整ったいいお芝居だと思いました。また見たい!

2009年6月8日月曜日

第二種電気工事士筆記試験&技能試験


今年のプライベートにおける2大目標は、電気工事士二種の資格取得と、小唄を始めること。前者の理由は、いつか自分で家をリフォームするとか作る時に配線などが少しでもわかっていればいろいろいいことがあるだろう、それに今もコンセント1個増設ぐらいすぐにできるようになりたいし、というものです。それに、実は工作の類が好きなので、「なんだかおもしろそう」というかるーい気分もあったり。
しかし、いざ申し込んで1か月前から筆記試験に向けて勉強を始めたら「おもしろそう」では済みませんでした。電圧や抵抗の計算から、細かい電線の種類やサイズ、法規、工事方法まで、ありとあらゆることの理解と暗記の嵐。こんなにまじめに細かい勉強したのは大学院後期の入試でドイツ語やって以来で、すごく久しぶり……。つらかった……。オームだの三角関数だのという、高校以来避けて生きてきたあたりはやっぱり苦手。時間をかけて解いてもまちがってたりするし。もう半分あきらめムードでした。でもまあ、受験料も払ったし、受けずにあきらめてももったいないので、試験は受けましょう、程度で。

そして、6/7に筆記試験を受けてきました。東京都の試験場はあちらこちらにあって、我が家から近い上野あたりにもあったのに、なぜか成城の試験場で、しかも駅からけっこう歩く場所でした。夜は歌舞伎座に行くのに、これでは時間ギリギリ。2時間の試験時間で、最初の1時間が過ぎれば途中退出もできましたが、さすがに1時間では終わらず、1時間半ぐらいのところで「これ以上がんばっても正答は増えない」と思って終わりにしました。それにしても、かなり多くの人が1時間程度で帰っていったのですが、みんなよくできるんだか、諦めた人が多いんだか気になりました。
すぐ当日に解答が公表されたので、夜に採点したらなんとか合格ラインを超えていました。やったーーーー! いやあ、本当にギリギリだった。でも満点だろうとギリギリだろうと合格したっぽいのは確かなので、次の技能試験に向けてがんばるぞ! 技能試験では、電線や電気器具(コンセントや電灯)などを接続する実技が試験されます。試験問題は単線図だけなので、自分で複線図におこして、どこにどの部品を使うかなどを決めないといけません。工事に使う工具などは合格通知が届いてから買うことにして、7月初めまではひたすら候補問題を複線図に起こす練習をしました。あんまり何度も描いたので、もう一目見ただけでわかるようになるぐらいでした。基本的にすべて3分以内で描き終えられるようになりました。

7月に入って筆記試験合格通知が届きました。よし、工事の練習を始めるぞ。ウェブなどでも探してみましたが、結局秋葉原の愛三電機で売っていた工具セットと材料セットが一番安かったので、さっそく買ってきました。電線が何十メートルもあって、とっても重かったです。工具も重くて大きくてちょっと不安ですが、とにかく練習あるのみ。最初に作った1個は、電線の被覆のむき方も接続の方法もよくわかっていなかったので、1時間以上かかってしまってしかも美しくない。ちなみに試験時間は全部(複線図をおこして組み立て終わるまで)で40分です。候補問題をこなしつつ、個々の電線むき、電気部品への接続、リングスリーブの圧着などを、考えずにいつも同じようにできるようになるまで練習しました。お気に入りの作業は、電線の先をクルッと丸めてレセプタクルなどの接続部にねじ止めする作業。なんだか、ぴったりおさまるとウキウキしちゃいます。長さを測る、切る、ねじを開けるなどの作業もまとめてこなせるように作業の順序を組み立てて、難しいものでも30分で作れるようになりました。特にリングスリーブの圧着はすごく力が必要で、1日に3つも候補問題をこなすと手がぶるぶるふるえるようになっちゃってなかなか思ったように進まないものです。直前にまとめてやるよりも、1日1つずつでもコツコツこなしていくほうがお勧め。

技能試験は7月25日、秋葉原でした。今度は近くてラッキー。表紙付きの問題用紙が配られたら、紙が薄いのか、中の問題(単線図)が透けて見えます^^; 「始め」の合図がある前から、「きっと、あの問題だな」と記憶を反すうしなおせちゃいました。出題は、候補問題No.6でした。アースをつける方法だけ覚えていれば、あとは特に難しいところはない問題。そこで、丁寧にきれいに作ることをこころがけました。それでも、できあがったものをきれいに整えて、ごみもきれいに片付けて、再度できを確認しても、まだ時間がたっぷり(10分ぐらいかな)余ってしまって、周囲の様子をうかがっていました。うーん、できちゃってる人もいるけど、すっかりあきらめてる人もいれば、(私から見ると)謎の順番で作業を進めている人もいるし、電線がぐにゃぐにゃの人もいます。もしかして、思ったより私はいい方かも、とだんだん自信がわいてきて、試験終了の合図があったころには「合格間違いなし」と思いこんでおりました。こんなにさわやかな試験後ってなかなかありません。

合格発表は9月初め。予想通り受かってました。わーい。
合格したら、なんだか落ち着いてしまって、「別に仕事で必要なわけじゃなし」と、なかなか免状の申請に行かずに時間が過ぎました。10月も後半になってやっとその気になって、よりによって大雨の日の終業直前に都庁に行って、手続きをすませ、11月13日に免状をいただいたのでした。しかし、ケースには入っているものの、紙製で写真も貼り付けって、いまどきレトロな証明書類ですなー。さて、どこかにコンセントでも増設するかな。

2009年6月7日日曜日

歌舞伎座6月公演:吉右衛門と幸四郎

6月の歌舞伎座、夜の部の演目は以下のとおりでした 。


 - 門出祝寿連獅子
 - 極付 幡随長兵衛
 - 梅雨小袖昔八丈 髪結新三


吉右衛門と幸四郎がそれぞれ主役をはって、見ごたえのある感じでしたが、最初が口上であとは黙阿弥の男くさーい芝居が2つ続くと、もうちょっと華やかなお姫様なんかが出てくるものも見たいような気もしてきたり。ぜいたくですね。


さて、門出祝寿連獅子は染五郎の息子さん、金太郎ちゃんの初舞台。なんと4歳(だっけ)ですが、 しっかり獅子を踊っていました。ちょっと感心。三代で舞台に立てるなんて、お父さんもおじいちゃんもうれしいだろうなあ。



幡随長兵衛吉右衛門の幡随院長兵衛に仁左衛門の水野十郎左衛門でした。ふたりとも大好きな役者さんなので、きゃーきゃーって感じで見ていましたが、お芝居の方は全然浮かれたところなどない、江戸の侠客のしぶいお話でした。吉右衛門すばらしい。
水野が自分で長兵衛をおびきよせておきながら長兵衛の死ぬ覚悟を知って「殺すは惜しい」と言うあたり、じんとするんだけどよく考えると「いい加減にしろよなー」とも思います。結局殺しちゃうんだし。見せ場はやっぱり後半なのでしょうが、前半の江戸の暮らしぶりをほうふつとさせるような湯上りの姿とか、子分たちの着物の着方とか、そういうところもおもしろく見ました。

幸四郎の方は 髪結新三。これ、前から見たかったんだよね。やっぱり初鰹だよね。実は幸四郎って何を演じていてもずっしり感があってあまり得意ではないのですが(全部弁慶に見えるような気がする…)、さすがお芝居はうまくて、楽しく見ました。でもやっぱり、幸四郎と染五郎がふたり出てきても「髪結の小悪党」には見えないなー(笑) とにかくがめつい家主夫婦は彌十郎と萬次郎でした。最近老け役が気になります。
しかし、見る前は新三ってもっとかっこいい役なのかと思ってましたが、悪いことしたわりにいろいろ竜頭蛇尾で、しかも最後はあんなことになっちゃうし、だいぶダメダメだったのがびっくりでした。おもしろかった。また別の配役で見てみたいです。

2009年5月30日土曜日

MOSAIC.WAVライブ

MOSAIC.WAVのライブに行ってきました。MOSAIC.WAVとはなんぞや。実は私もよく知りません。ジャンルで言うなら、テクノポップなんでしょうか。なんともすごかったです……。キーボードの(リーダー?)お兄さんが予想外の正しい美声だったのが非常に印象に残りました。

2009年5月25日月曜日

ブレゴビッチ "ALKOHOL"

クストリッツァ監督「ウェディング・ベルを鳴らせ!」を見て、サントラがほしくなって探していたら、ゴラン・ブレゴビッチの新作"ALKOHOL"を見つけました。実を言うと、このところジャンルを問わずあまり音楽を聴いていなくて、一時期は毎日ずーっと音楽を聴いていたけれど、波が去ったかな?と自分で思っていました。本も映画も音楽も好きだし、他にも好きなことがいろいろあって趣味が多い方だと思うのですが、やっぱりすべてにいつもアンテナをはっているわけではなくて、その時々で好みの波があります。それも年単位で。でも、どうやら、映画をきっかけに、音楽の波がじょじょに戻ってきたみたいです。バルカン・ミュージックからだったとは。
ゴラン・ブレゴビッチは、クストリッツァ監督「アンダーグラウンド」で知って、一時期とってもはまりました。ちょうど好きになった頃にゴラン・ブレゴビッチ・ウェディング・アンド・フューネラル・バンドを生で見ることができて、ブレゴビッチ自身のかっこよさにもはまりました。いやあ、すごい美男子なんですよ。声もいいし。キャリアの最初はロックバンドだったようですが、さもありなんって感じです。クストリッツァ以外の映画音楽も手掛けるようになったころから、どうも派手になりすぎた気がしてあまりチェックしなくなっていたのですが。
そのブレゴビッチのアルバムのタイトルが"ALKOHOL"(アルコール)。そう来たら、買わないわけにいかないですよね。まるで、お酒drivenの私のために作ってくれたみたいな(笑) あまり内容についてくわしくわからないのですが、ライブ録音中心で、古い曲もやっているので、完全な新作というよりはライブ盤のような性格のディスクなのかもしれません。ほどよくバルカンっぽく、ほどよくロックっぽく、ほどよくブレゴビッチっぽく、なかなか悪くない1枚でした。リーフレットに書かれた、父親にまつわるエピソードがちょっと泣ける話でした。だから、アルコールなのか……って。

Alkohol

2009年5月20日水曜日

クストリッツァ「ウェディング・ベルを鳴らせ!」

ウェディング・ベルを鳴らせ!」は東京を皮切りに全国で順次公開。詳しくは公式サイトで。

大好きなエミール・クストリッツァ監督の久しぶりの公開作に、期待にはちきれんばかりになりながら映画館に向かいました。えーと、しかしクストリッツァはとっても有名なんだけど、私が期待するほど有名ではないと思うので、本作の話の前に、少しクストリッツァ映画全般の話を。
クストリッツァはユーゴスラヴィア(現在はセルヴィア)出身の映画監督で、代表作はやっぱり「アンダーグラウンド」。本作の前に公開された長編映画は「ライフ・イズ・ミラクル」でした。このあたりの作品は第二次世界大戦以降のバルカンの歴史を斜めにぶったぎるような、力技の映画で、特に「アンダーグラウンド」は3時間近くをノン・ストップに走り抜ける感じがとんでもない名作です。えーと、クストリッツァ見たことない人は、とりあえずこれだけは見てほしいな。むかし、英国の映画評ではTragi-Comedy(悲喜劇)に分類されていましたが、確かに悲劇なのに思わず笑ってしまう、そして意識的に笑い飛ばしてしまうストーリーやエピソード、画面作りが、私には最高にぴったりくるのでした。
一方、クストリッツァには「黒猫白猫」という、これまた名作のコメディがあります。セルヴィアに住むロマ(ジプシー)たちを主人公にした、やっぱりとにかくエネルギー爆発の映画です。実は私が最初に見たクストリッツァ映画はこちらでした。とにかく素直に大笑いして楽しめるのだけれど、あとからちょっと深く考えてしまうようなところもあります。そこがまたいいんだなあ。
私はほとんどクストリッツァおたくなんですが、おたくとして見たところ(すなわち分析はしない)、クストリッツァ作品にはいくつか共通の要素があります。たとえば、浮遊(空を飛ぶ)のモチーフ。「ジプシーのとき」や「アンダーグラウンド」の花嫁、「アリゾナ・ドリーム」の魚や娘などが印象深いのですが、それぞれイメージも内包する意味も少しずつ異なるように思います。あ、「ライフ・イズ・ミラクル」のベッドも飛んでたなー。また、動物が大量に登場するのもクストリッツァらしさ。「黒猫白猫」には猫はもちろん、何でも食べる豚、アヒルの群れなどが登場。「ライフ・イズ・ミラクル」のロバも印象的でした。そしてもちろんクストリッツァ映画には音楽も欠かせません。「アンダーグラウンド」までは主にゴラン・ブレゴヴィッチが担当の東欧っぽい音が中心で、特にジプシー・ブラスの超高速演奏はもう最高。たいてい、映画の筋とあんまり関係ないのにブラスバンドのおじちゃんたちが画面にも登場して演奏しまくるのです。「黒猫白猫」以降になると、クストリッツァ本人も(一応?)参加しているノー・スモーキング・オーケストラが音楽を担当しています。やっぱりジプシーっぽさ、バルカンっぽさを持ちながらよりロックでポップになってるかな。息子のストリボール・クストリッツァがドラムをやることも。

というわけで、そんなクストリッツァ監督の「ウェディング・ベルを鳴らせ!」は、前評判からも「黒猫白猫」系の楽しい映画だと言われていましたが、確かにその通り。2時間半ほとんど笑いっぱなしで、またさらにクストリッツァ大好きになってしまいました。主人公ツァーネは田舎に祖父とふたりで住む少年で、嫁さがしに都会に出ます。彼が好きになった女の子ヤスナは街を仕切るマフィアに狙われていて…なんていう、とってもベタな設定に、とってもベタなストーリーが展開。そこになんとも"ヨーロッパの田舎"セルヴィアっぽいベタなギャグがいくつも詰め込まれていて……こんなベタベタな話、クストリッツァじゃなかったら作れないよーっていう(笑) いやああ、こればっかりですけど、ほんとに最高でした!
いろいろツボはあるのですが、基本的に見てもらってのお楽しみということで、語るのはガマンガマン。ほんの一言二言だけ……。まず、前述のクストリッツァ的要素=浮遊・動物・音楽はすべててんこもりでした。それにしても、本作に登場する動物たちは、なんというか、かわいそうに(笑) 獣○ネタって、どうもフランス-イタリア-バルカンに多いような気がするんですが、大陸ヨーロッパではけっこう一般的なんでしょうか(まさかね)。そして、音楽はストリボールが担当。これがほどよく抜けて現代的になっていて、ちょっと世代の違いを感じました。そしてかっこよかった。ストリボールは、実は俳優としても出演していて、鉄人兄弟の兄をやっていました。この鉄人兄弟が、私はとにかくもう大のお気に入り。ばかばかしすぎるー。頭まで筋肉でできていて、そして筋肉が鉄でできているとしか思えない。ああ、早くDVD出ないかなあ。そしたら鉄人兄弟の登場するところばっかり何度も見ちゃうのに……さらに、クストリッツァ作品の常連、ミキ・マノイロヴィッチがマフィアのボスで出てました。最後に、あの催眠うずまきはヒチコック「めまい」へのオマージュではないのか?とこっそり思っている私なのでした。ああ、好きなだけに語りすぎちゃったけど、まだ語り足りない……みなさん、ぜひ見てください……それから私と一緒に語ってください……。

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黒猫白猫 [DVD]
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2009年5月19日火曜日

キング・コーン

原題 "King Corn" 2009.6月半ばまで、渋谷のイメージフォーラムで上映中です。

米国(そして世界)はとうもろこしで回っている!という事実をつきつけてくる映画でした。
ドキュメンタリーを撮る監督は、どんな勝算を持って作品を作り始めるのかな、と、いいドキュメンタリーを見るたびに思います。湿っぽいのが嫌いで食に興味がある私は、基本的に感動が予想されるような映画は見ません。あるテーマを扱うのであれば、きちんとそれぞれの立場からの話を並べてほしい。もちろん、選択や並べ方に監督の意思は反映されるわけだけれど、その無色に近い中からこちらが主体的に監督の主張を見つけ出せるような作りだと、いいドキュメンタリーだと思います。しかし、難しいんだろうな。
以前に食を扱ったドキュメンタリーとしてすごくよかったのは「モンドヴィーノ」という、ワインをめぐるドキュメンタリー。ワインのグローバリズム代表とも言えるロバート・パーカー/ミシェル・ロランやボルドーの有名シャトーの人々と、テロワール(地味)を大切にするドマ・ガサックのエメ・ギベールなどの人々を平行して追っていくのです。それぞれが自分は正しいことをやっているんだ、いいワインを造っているんだという自信を持って語っています。でも、見ているこちらからすると明らかに軍配はテロワリスト側にあがります。ああいう風に、自信ありげに墓穴を掘るようなことを言わせるインタビュー術(なのか、うまく拾い上げる構成力なのか)はすごいなーと思っておりました(これはほんとにおすすめなので、本題と離れるけど最後にリンクはっておきました)。

さて、今回の「キング・コーン」も、とうもろこしの生産・流通・消費をめぐるさまざまな立場の人々の声を見事に拾っています。そして、作られたとうもろこしがどうなっていくのかがよく見えます。グローバリズム経済の今日、アイオワ州で作られたとうもろこしが世界中に影響を与えるからくりがすごくよくわかる。……そして、ファーストフードとか安売りの肉や加工食品を食べる気が失せていきます。プログラムで監督曰く「世界で最も退屈なテーマであるとうもろこし」が、ここまでおもしろく考えさせる素材だったとは! これから日本各地でやるようなので、少しでも食に疑問や興味のある人にはぜひぜひおすすめです。

中でもいくつか特に印象的だったことを挙げておきます。
・まずは、アメリカの農業の規模の大きさと画一化。とうもろこし農家なら、一人で千エーカーは当たり前、他の人の農地も請け負って何千エーカーも、とうもろこしだけ栽培しています。自家用なんて作りません。ひたすら売り物だけ。機械化も進み、装置の幅が30mもあるトラクターで、耕運も化学肥料や除草剤お財の散布も種まきも一気に終わります。小山のような大機械でした。しかも、作るとうもろこしのほとんどは直接人間の口には入らない原料用のデントコーン(もちろん農薬耐性のある遺伝子組み換え作物)。映画を撮った当時より現在はバイオ燃料としての使用量が多いはずなので、さらに人の口から遠ざかっているんですよね。そんな風に作っていたら自分の作物に愛を感じられないのは当たり前という気もしました。
・作られたとうもろこしの行き先のひとつが、家畜の飼料です。アメリカ牛っていうと、牧場で放牧された赤みの牛肉ってイメージがありますが、いまや正反対。狭い飼育場に詰め込まれてろくに動きもせず、(牛にとって)糖質の多すぎるとうもろこしを食べている牛の肉は、牧場育ちに比べて飽和脂肪酸の割合がとても高いとか。しかも病気になりやすいから抗生物質漬けです。飼育場に牛がいーっぱいいる画像は衝撃的でした……もうアメリカ牛食べれないよ。

他にも、農業政策(補助金の出し方とか)やら、コーンシロップ(ブドウ糖液糖など)の問題やら、気になるトピックが満載で、いろいろ書ききれません。とにかく、90分見た後にその何倍も考えさせられる、すっごくお得な映画だと思います。しかもおもしろいところがまたよし!

モンドヴィーノ [DVD]

2009年5月13日水曜日

カーター・ディクスン『ユダの窓』

太った探偵が好きです。……いえ、太ってれば何でもいいわけじゃないんですが、なぜか一番お気に入りの探偵がカーター・ディクスンHM(ヘンリー・メルヴェール卿)とレックス・スタウトネロ・ウルフなのです。どっちも小山タイプですが、実際に会わなければならないとしたら絶対HMの方がいいだろうなあ……ネロ・ウルフは超がつく女性ぎらいだけど、HMはたいていの女性には(実は)やさしいから。

そんなわけで、『ユダの窓』はHMの登場する作品の中でも名作のひとつに入るストーリーです。もちろん、トリックやその解明がよくできているからなのですが、HMが後半になってやっと登場するような作品に比べて、これは最初から最後までHMを堪能できるのもうれしい点なのです。HMは、第1次世界大戦中に英国軍情報部の部長として活躍し、その後もそんなような仕事をしているらしい、太って頭の薄い準男爵。性格は破天荒の一語につきます。貴族とは思えない言葉づかいで、子供みたいなところがあるかと思えば、ほめたりすると腹を立てるというつむじまがりなところが……(もしかして、HMってツンデレ?) 運転させるとなぜ事故を起こさないのかわからないスピード運転をするらしい。
そんなHMですが、実は医者と弁護士の資格を持っていて教養にあふれていたりもします。そんなHMがメイ弁護士っぷりを見せる唯一の作品がこの『ユダの窓』。名なのか、迷なのかは読んでからのお楽しみです。が……今は新刊では手に入らないみたいです。amazonマーケットプレイスを見ると、古書で安く買えそうなのはありがたいけれど。
カーター・ディクスンことディクスン・カーの小説には、登場人物が片っぱしから何か隠していそうな奇妙なそぶりをするのになかなか白状しない(または言おうとすると邪魔が入る)という特徴があって「あやしいのか、単に精神不安定な人なのか」とちょっとイラつくこともあるのですが、『ユダの窓』では、それぞれの奇妙なそぶりがきれいに解明されるところも万人にお勧めできるポイントであります(逆に言えば、よっぽどのカーマニアじゃないととても読めないような作品もあります^^;)。ぜひまた復刊してほしい!

ユダの窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫 6-5)

2009年5月10日日曜日

イタリア映画祭の記憶

ちょうどよい機会なので、自分のメモ代わりにも、これまで見たイタリア映画祭上映作品および関連作品を簡単にまとめておきます。

2001
Tu ridi (Paolo e Vittorio Taviani) 笑う男/タヴィアーニ兄弟監督
Radiofreccia(Luciano Ligabue) ラジオフレッチャ/ルチアーノ・リガブーエ監督
La lingua del santo(Carlo Mazzacurati) 聖アントニオと盗人たち/カルロ・マッツァクラーティ監督
Sangue vivo(Edoardo Winspeare) 血の記憶/エドアルド・ウィンスピア監督
第1回。日本イタリア年で「イタリア旅行」というテーマで90年代の映画が並んだ。歌も超かっこいいおやじロック歌手リガブーエ監督の『ラジオフレッチャ』では(後でファンになった)ステファーノ・アッコルシはまだ垢抜けなくてそこがまたよい。『聖アントニオと盗人たち』はイタリア的超美形なのに頼りないファブリツィオ・ペンティヴォリオが最高。『血の記憶』でプーリア州の民俗音楽ピッツィカにはまる。

2002
Fuori dal mondo(Giuseppe Piccioni) もうひとつの世界/ジュゼッペ・ピッチョーニ監督
La via degli angeli(Pupi Avati) 真夏の夜のダンス/プーピ・アヴァーティ監督
La carbonara(Luigi Magni) ラ・カルボナーラ/ルイジ・マーニ監督
Santa Maradona(Marco Ponti) サンタ・マラドーナ/マルコ・ポンティ監督
第2回もテーマは「イタリア旅行」。『もうひとつの世界』でマルゲリータ・ブイを知る。すばらしい。1930年代のボローニャ近郊を舞台にした『真夏の夜のダンス』は山奥から年に1度のダンスパーティーに集まってくる人々の悲喜こもごもが自然に包まれている感じが好きだった。『サンタ・マラドーナ』は映画祭では見なかったが、S・アッコルシが出ているのがわかって後からDVDを購入。若々しい。

2003
Le fate ignoranti(Ferzan Ozpetek) 無邪気な妖精たち/フェルザン・オズペテク監督
L'ora di religione(Marco Bellocchio) 母の微笑/マルコ・ベロッキオ監督
L'imbalsamatore(Matteo Garrone) 剥製師/マッテオ・ガッローネ監督
A cavallo della tigre(Carlo Mazzacurati) 虎をめぐる冒険/カルロ・マッツァクラーティ監督
『無邪気な妖精たち』はゲイ役のS・アッコルシがありえないほど魅力的。出演作をほぼすべて集めたけど、やっぱりこれが最高。M・ブイも出てます。『母の微笑』は宗教というテーマがイタリアらしくベロッキオらしく、難しいけれどおもしろかった。『剥製師』は、好きになれないのに目が離せない感じの登場人物たちで不思議な気分。『虎をめぐる冒険』は『聖アントニオ…』ほどではなかったけど良質の悲喜劇。ペンテヴォーリオがやっぱりいい。

2004
Il cuore altrove(Pupi Avati) 心は彼方に/プーピ・アヴァーティ監督
Il miracolo(Edoardo Winspeare) トニオの奇跡/エドアルド・ウィンスピア監督
La finestra di fronte(Ferzan Ozzpetek)  向かいの窓/フェルザン・オズペテク監督
Un viaggio chiamato amore(Michele Placido) 愛という名の旅/ミケーレ・プラチド監督
Buongiorno, Notte(Marco Bellocchio) 夜よ、こんにちは/マルコ・ベロッキオ監督
『トニオの奇跡』はプーリアで奇跡を起こした少年をめぐる話で、工業都市ターラントと海の風景の対比がよかったけれど音楽が出てこないのがちょっと残念でした。『愛という名の旅』はS・アッコルシが出てるのですが、まあ普通…というか、アッコルシにはゲイ役かだめ男しかないのか? 『夜よ、こんにちは』はモーロ元首相誘拐殺人事件の赤い旅団を扱っています。すごく見たいと思いつつ、なぜかまだ未見。DVDが出ているので、今度見ようっと。

2005
L'amore ritrovato(Carlo Mazzacurati) 愛はふたたび/カルロ・マッツァクラーティ監督
Le conseguenze dell' amore(Paolo Sorrentino) 愛の果てへの旅/パオロ・ソレンティーノ監督
Prendimi (e portami via)(Tonino Zangardi) 私をここから連れ出して/トニーノ・ザンガルディ監督
Ballo a tre passi(Salvatore Mereu) スリー・ステップ・ダンス/サルバトーレ・メレウ監督
Gente di Roma(Ettore Scola) ローマの人々/エットレ・スコラ監督
『愛はふたたび』はS・アッコルシが出ているマッツクラーティ監督作品で本国でヒット……なのに、単なる優柔不断でわがままな男の不倫話で不満。『愛の果てへの旅』の舞台はスイス。謎めいたストーリーに衝撃的なラスト。イタリアっぽくないけど、引かれました。『私をここから連れ出して』は少年とロマの少女の交流が描かれていて、ロマにも興味のある私には色々勉強にもなった一作。『スリー・ステップ・ダンス』はちょっと幻想的で荒々しく美しい。サルディーニャにも行ってみたい(でも正直ちょっとこわい)。『ローマの人々』では、レストランで食事をしながら父親に老人ホームに入るよう説得する息子が妙に印象に残っています。

2006
Mater natura(Massimo Andrei) 母なる自然/マッシモ・アンドレイ監督
La seconda notte di nozze(Pupi Avati) 二度目の結婚/プーピ・アヴァーティ監督
La febbre(Alessandro D'Alatri) マリオの生きる道/アレッサンドロ・ダラートリ監督
Quando sei nato, non puoi piu nasconderti(Marco Tullio Giordana) 13歳の夏に僕は生まれた/マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督
『母なる自然』はナポリを舞台にしたトランスセクシュアルとゲイの映画。イタリア人の肉体の存在感ってやっぱりすごい。『二度目の結婚』のA・アルバネーゼは名演だった。クレモナが舞台の『マリオの生きる道』はおもしろい話でした。なんだか身につまされる。一般公開されてから見た『13歳の夏に……』は少年とルーマニア移民の兄妹のストーリー。移民問題の根の深さが感じ取られて考え込んでしまいました……正解はどこにもない……

2007
Il regista di matrimoni(Marco Bellocchio) 結婚演出家/マルコ・ベロッキオ監督
Nuovomondo(Emanuele Crialese)  新世界/エマヌエーレ・クリアレーゼ監督
L'amico di famiglia(Paolo Sorrentino) 家族の友人/パオロ・ソレンティーノ監督
Il caimano(Nanni Moretti) カイマーノ/ナンニ・モレッティ監督
Romanzo criminale(Michele Placido) 犯罪小説/ミケーレ・プラチド監督
L'orchestra di Piazza Vittorio(Agostino Ferrente) ヴィットリオ広場のオーケストラ/アゴスティーノ・フェッレンテ監督
この年は久しぶりに秀作ばかりで大満足。『新世界』はシチリアから米国に移住する一家の話。とてもおもしろい。その上、シャルロット・ゲンズブールがイギリス人役で出ている。『家族の友人』は主人公ジェレミアがいやなやつなのに見ていると同情してしまう不思議。初めてのモレッティ作品が『カイマーノ』なのはどうなのか。ベルルスコーニ映画のふりをした「映画の映画」でした。『犯罪小説』はイタリア版「仁義なき戦い」。S・アッコルシにはひげは似合わないと思う。実は今年になって見た『ヴィットリオ広場……』は移民オーケストラづくりのドキュメンタリー。

2008
Saturno contro(Ferzan Ozpetek) 対角に土星/フェルザン・オズペテク監督
La ragazza del lago(Andrea Molaioli) 湖のほとりで/アンドレア・モライヨーリ監督
『対角に土星』は久しぶりのオズペテク作品でした。それぞれが孤独をかかえた友のつながり……ものすごく「わかる」テーマで、とても気に入りました。M・ブイとS・アッコルシは夫婦で、やっぱりしっかりものの妻とダメ夫。『湖のほとりで』は北イタリアの緑につつまれた村で起こる殺人事件の話。派手な話ではないけれど、佳作だと思います。夏に一般公開予定。

イタリア映画祭2009

ちょっと間が開いてしまいました。ゴールデンウィークには、有楽町の朝日ホールで毎年のようにイタリア映画祭が開催されます。毎年、上映作品の中から気になるものを選んで見るようにしています。第1回が2001年(日本イタリア年)だったので、もう9年になるんですね。うわー、びっくり。
今年は、GW後半に旅行の予定だったので、1日だけの参加で、2本見ました。

Il divo(Paolo Sorrentino) イル・ディーヴォ/パオロ・ソレンティーノ監督
ソレンティーノ作品は、2005年に『愛の果てへの旅』、2007年に『家族の友人』を見ています。本作は、今のベルルスコーニ首相を軽く超えるほどあやしさ満載の政治家ジュリオ・アンドレオッティ(戦後から90年代までイタリア政界で活躍し、首相を3回つとめた一方で、秘密結社やマフィアとの関連もうわさされた人物)を取り上げた作品でした。監督の名に注目せずに本作を見ることにして、実は来日作品はすべて見ていることに後から気付いて、どうやら自分はソレンティーノ作品が好きらしいと今さら気付いたのでした。本作はこれまでの作品とはちょっと違って、史実に忠実に、かなりドキュメンタリー風に撮られています。でも、特徴的なスタイリッシュなカメラワークは共通しているかな。大きな事件が突然起こるわけでもなく、様々な疑惑が取りざたされるけれども解決もなく、でも目の離せないのめり込んでしまうような映画でした。様々な意味でのアンドレオッティの大きさがよく伝わって、イタリア政治におけるモーロ元首相誘拐殺人事件の傷もよく伝わって、傑作だと思いました。主演のトニ・セルヴィッロも名演でした。
それにしても、イタリア政界って、知れば知るほど奇々怪々。日本の政治家なんてかわいく見えてきます……

Sonetàula(Salvatore Mereu) ソネタウラ―”樹の音”の物語/サルヴァトーレ・メレウ監督
メレウ監督が来日していて、あいさつがありました。メレウ作品は、2005年に『スリー・ステップ・ダンス』が来ています。作品から想像していたよりおしゃれな感じの方でした。本作は第二次世界大戦前後のサルディーニャを舞台に、羊飼いの少年の過酷な運命を語っています。サルディーニャの羊飼いの登場する映画といえばタヴィアーニ兄弟の『パードレ・パドローネ』が有名です。時代もそれに近くて、一種既知の異世界を再体験する感じがありました。ただ、あちらが文蒙の羊飼いが文字を通して広い世界を知っていく成功の物語だとすれば、こちらは厳しい生活の中でひたすら自分をすり減らしていく負の連鎖の物語であり、ラストシーンが一種の救いに見えてしまうのが哀しい。ピクチャレスクな風景の中で続く小さくさりげない人の営みがとても感動的でした。
タヴィアーニ兄弟の『カオス・シチリア物語』から現代イタリア映画にはまったので南イタリアを舞台とした作品を多く見るようにしていますが、サルディーニャもシチリアに似ていて、さらに原始的な部分の残る地域で、とても気になっています。山賊の登場シーンも興味深かったです。冒頭しか登場しないのですが、主人公の父親役がどこかで見たことのある顔……と気になっていたら、なんとクストリッツァの『アンダーグラウンド』でブラッキーを演じていたラザル・リストヴスキでした。言われてみれば~! しかし、なぜサルディーニャにセルヴィアの俳優が……。びっくり。

本当はもう1本、ナポリのカモッラを描いた『ゴモラ』も見たかったのですが、都合が合わず断念しました。来年あたり、一般公開されるといいんだけど……題材的に難しいかな?
今年のイタリア映画祭は全席指定に加え、パスポートなどがなくなったせいかとてもスムーズな運営で、一時期の席取合戦がうそのよう。ただ、その分お祭りっぽさが薄くなったのも否めない。難しいものですね。

2009年4月18日土曜日

スターオーシャン1 ファーストディパーチャー

PSPのロールプレイングゲームです。もとはけっこう古いのかな。プライベートアクションという、仲間とのエピソードを楽しめる機能がついていて、とっても私好みです。ただ、全部の組み合わせを見るには4周しなければならないのがちょっと厳しい……飽きるのとどっちが早いかな。

私はほとんど推理系(?)アドベンチャーかロールプレイングしかやりません。それもけっこう偏っていて、「逆転裁判」シリーズと「ドラゴンクエスト」シリーズだけは全部やるみたいな感じ。小説でも波瀾万丈のストーリー(『高慢と偏見』も波瀾万丈だと思っているあたりその定義もいいかげんですが)を好むのと同様、ゲームでもレベル上げとかよりもおもしろいストーリーを楽しむのが一番の目的です。この前やっていた「英雄伝説・空の軌跡」シリーズはそういう意味で名作だったなあ。早く次がやりたいです。今やっているスターオーシャンは短い分複雑さはそこまでないようですが、でも十分満足感があります。
それにしても、我ながらロールプレイングのやり方はちょっと変わっていて、早々に攻略サイトを探しては、それをたよりにもれなくストーリーを追い、エンディング分岐などもできるだけ全部見ようとする方です。あんまり自分で謎をとこうという気分がありません。本来の楽しみ方とはちょっと異なる気がしますが、本人がそれで楽しんでるんだからまあほっといてやってくださいな。

2009年4月8日水曜日

横溝正史『髑髏検校』

推理小説ファンにもいろいろあります。本格推理(日本で言えば新本格も含め)が好きな人、サスペンス系が好きな人、コージーミステリ系が好きな人、といろいろあると思いますが、私は基本的には本格推理系です。中でも、探偵の登場するもの、かつ恋愛の要素のあるものが好き。極論すれば、クリスティとかディクスン・カーあたりってことになりますね。推理小説ファンと名乗りつつ、どうやら私は謎解きには二次的な興味しか持っていないようです。なによりも、好みの探偵が登場することがとても重要だったりします。
そんな私が日本の推理小説の中で一番好きなのは、やっぱり横溝正史。横溝作品の探偵と言えばもちろん、金田一耕助由利先生もけっこう好きですけど。金田一さんの登場する作品を本棚にずらーっ(50冊ぐらい)並べて、やる気のないときひまなときに読むのがほとんど癖になっています。中身をほとんど暗記しているぐらい読んでいても、もう1度読むとやっぱりおもしろい。なんだか、推理小説というより忠臣蔵でも楽しむみたいな感じになってます^^; 内容的にも、暗闇に紛れて行動する謎の怪人だの、ひたすら泣いてばっかりいる(か気絶しまくる)美女だの、「お約束」にあふれているし。いやあ、それがいいんですよ。

そんな横溝正史は、戦後に金田一耕助を登場させる前には伝奇小説捕物帖なども書いていました。そのひとつ、ブラム・ストーカー『ドラキュラ』を翻案したのがこの『髑髏検校』です。実は、なぜかまだ横溝の捕物帖や江戸物は読んだことがなかったんですよね。谷中の古本・古道具屋さん不思議で「あ、持ってない横溝ものだ」と思って何気なく買ったのですが、帰宅して読み始めたらすっかりはまってしまいました。我々の世代は明治大正のような美文が書けないさびしい世代なわけですが、まさか横溝正史がこんな流麗な文章を書くとは! たとえば、

悪夢より覚むれば、一瞬にして平和なる房州の春、障子にはかあーっと菜種いろの陽が色づいて、波の音も長閑である。

なんて調子です。いつもの横溝正史も名調子なときがありますが、これは見事。しかも、文豪の筆とは違って雰囲気だけでなく読みやすさもあって、とても魅力的な文体でした。内容も横溝お得意の怪奇物で「次はどうなるの?」とワクワクさせられて、これは見つけ物でした。本書には表題の「髑髏検校」ともう1作(こっちのが長い)「神変稲妻車」が入っています。「稲妻車」の方はオリジナルらしく、家宝の笛(これがまた時代物っぽくてうれしい)を軸に何人もの登場人物が入れ替わり立ち替わり登場する一種の道中物です。人の多さと関係の複雑さに頭がぐるぐるしつつもおもしろい、まさに浄瑠璃の世界を満喫してしまいました。これはそのまま歌舞伎にできるんじゃないだろうか。いやー、素直におもしろかった!

私の持っているのは講談社版ですが、同じ内容の物が今は角川と徳間から出ているようなので、そちらをリンクしておきます。
髑髏検校 (角川文庫)
髑髏検校 (徳間文庫)

2009年3月30日月曜日

ジル・ヘイグ/エレン・マロス『ドメスティック・バイオレンス』

原題は"Domestic Violence"。そのまんま^^;

私が翻訳チェックと編集を担当した書籍が刊行されました。
『ドメスティック・バイオレンス―イギリスの反DV運動と社会政策』(明石書店)です。英国のドメスティック・バイオレンスに対する対応の歴史をうまくまとめた概説書になっています。普遍的なドメスティック・バイオレンス関連の問題もいろいろ取り上げられているので、日本のDVを考える際にも役に立つ本だと思います。
たとえば、DV(これは主に男女間の暴力です)と児童虐待の関係、DVから逃れた女性の住む場所や保護の方法の問題、社会的マイノリティ(ゲイやレズビアン、障害者など)に対するDV、DVに関係する男女の処罰の軽重など、考えさせられる話題がたくさんあります。

男性にもきちんと読んでほしい、データもたっぷりの勉強になる本です!
……ちょっと高いので、簡単には買えませんけどね^^;

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ドメスティックバイオレンス イギリスの反DV運動と社会政策

2009年3月29日日曜日

グランジェ『コウノトリの道』『クリムゾン・リバー』

原題"Le Vol Des Cigognes""Les Rivieres Pourpres"
ルブランに刺激されて、フランスのでっかい話をもっと読みたくなったので、本棚から引っ張り出してきました。ああ、『モンテ・クリスト伯』を読むという手もあったな。今度読もう。

1994年と1998年にフランスで出版されたミステリです。先に読んだのは新しいほうの『クリムゾン・リバー』でした。これが、最初に読んだときはもうびっくり仰天しました。こんなのあるんだーって。こちらは映画にもなっているので、映画も見ました。ラストのほうは気にくわなかったけれど、暴力デカのニエマンスジャン・レノがやっているのはぴったりでしたっけ。でも、アラビアンなカリムも見たかった。
小説にはたまに「これは映像化に適しているなあ」と思うものがあるのですが、グランジェの小説はまさに映画にするしかない、というものばかり。とにかく絵にしたらすごい、と思うシーンがいっぱいあるし、ストーリーの持っていきかたも派手だし(ちなみに、他に「これは映画にするしかないな」と思った小説に『ダ・ヴィンチ・コード』があったりします。好きじゃないけど)。特に『クリムゾン・リバー』は舞台が他の小説ほどあちらこちらに飛ばないので、作りやすさも○。もっとも、映像化に適しているという評価は小説としてのおもしろさとは直行する概念でして、おもしろいものもつまらないものもあります。グランジェの小説は、小説としてもとにかくおもしろいのです。そんなことが!って驚くような事実が現れるんだけど、それがとんでもないのにうそっぽくない。そこがすばらしいです。それにしても、どれも長いんですよね。『クリムゾン・リバー』は四五〇ページを超えてます。しかも、それがほぼたった1日間、足かけ3日のできごとなんだからびっくりです。しかも、その間ニエマンスはまったく寝ない(正確に言えば45分ぐらい仕事中に寝落ちしてますが)。ちゃんと寝ろよ、ニエマンス。

コウノトリの道』のテーマは、ヨーロッパとアフリカを往復する渡り鳥のコウノトリ。のはずなんですが、これがまたとんでもなくでっかい展開になっていきます。同時に主人公のルイ・アンティウォッシュの変わり者ぶりがだんだん明かされていって、その理由がわかっていきます。この小説は舞台がとても広いです。コウノトリは東欧も通るので、ブルガリアのロマなども登場して、そのあたりがまた興味深いです。ロマのごちそうと言われるハリネズミ料理のおいしさが語られるシーンがあって、一度食べてみたいなあ、と思ってしまいました。ジプシー研究者の関口さんも、「ジプシーキャラバンでごちそうになる謎のごった煮がすごくおいしいんだ」と以前言ってらしたので、さらに興味津々。ロマの医者ミラン・ジュリクが出てくるのですが、この人がとってもしぶくていい感じです。実は、本書の中で一番かっこいいのは彼でしょう。

とにかく、分厚さに負けず一気に読めてしまうおもしろさと謎ときのスピード感が好きなら、グランジェの小説はとってもおすすめです。和訳はもう1冊『狼の帝国』が出ています。こちらは主人公が女性で、さらにしぶーい女性医師が出てきて、女性の身としてはうれしくなります。ちょっと話が大きすぎてあれとこれとそれがまとめきれていない感もありますが。とにかく、どの小説も買って、読んで、損はありません。(謎の)知識もいろいろ増えるし。ただし、どれにも痛そうな描写やかなりグロテスクなシーンがたくさん出てくるので、その辺は要注意。こういう本を食事中(一人だとついながら食べしてしまいます)に読めてしまう自分がちょっと心配。

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クリムゾン・リバー (創元推理文庫)
コウノトリの道 (創元推理文庫)
狼の帝国 (創元推理文庫)

2009年3月28日土曜日

中村光『聖☆おにいさん』

3巻が発売になりました。わーい。さっそく読みました。
有給休暇中のブッダイエスが立川のアパートで地味に暮らしているというシチュエーションのマンガです。これが、とんでもなくおもしろいんですよ。ものすごくがきくさいイエスと、どことなくおばさんくさいブッダのコンビが最高です。……『ヘルシング』が英国で人気だという現在でも、こればっかりは輸出できないような気がするなあ(笑) 3巻も期待通り、つぼが満載でめちゃくちゃ笑わせていただきました。ウリエルいいかも! 三巻の表紙はとってもきれいなんですが、帯をはずすとさらにすてきな仕掛けがあってうれしくなりました。『聖☆おにいさん』って、普通に前知識なしに読んでも十分おかしいのですが、仏教やキリスト教について知ってるとよけいおかしい。そのエピソードをそう解釈するかーみたいな。そういう意味で、けっこう読者対象が広そうな感じです。まあ、ものすごく敬虔な信者の方々には向かないかもしれないけど。

ところで、このマンガ(と『荒川アンダーザブリッジ』の)作者、中村光って女性なんですね! なんとなく男性だと信じ切っていたのでびっくりしました。うーん、絵のせいかなあ。うーん、パンツとかが普通にいっぱい出てくるせいかなあ。いやあ、びっくりした後に、なんだかうれしくなってしまいました。
私がいま新刊が出たら必ず買うようにしている漫画家は、よしながふみサラ・イネス清水啓子青池保子と、この中村光です。さらに、新刊が出ないから買ってないけど、出たら買うのに、と思う漫画家は内田美奈子。気がつくと全部女性ですね。そして、女性作家のわりにどっちかというと男性がメインで出てくる話を書く人ばっかりだ。なんでだ。まあ性別というより、作風の問題なんでしょうけど。
他にも読んでいるマンガはいろいろあるのですが、同じ家に私の12倍、いや24倍ぐらいマンガを買う人がいるので、受動的受容が多いんですよね。正直「なぜ買ったの?」と内心思ってしまうのもあります。あ、でも『さよなら絶望先生』は全力で楽しみにしてますから~(他力本願)。

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聖☆おにいさん 3 (モーニングKC)

2009年3月26日木曜日

ルパン傑作集

なんとなく思い立って、モーリス・ルブランアルセーヌ・ルパンものを片っ端から読み返しました。と言っても、少年探偵が登場する話やシャーロック・ホームズがこけにされる話ははあんまり好きじゃないので、『奇岩城』『ルパン対ホームズ』『水晶栓』はすでに手放しています。手元にあるのは『強盗紳士』『ルパンの告白』『バーネット探偵社』『八点鐘』(ここまで短編集)と『813』『続813』『棺桶島』の7冊。特に『八点鐘』『バーネット探偵社』『棺桶島』は好きでストーリーもほとんど暗記状態ですが、他の4冊は数年ぶりだったので、とっても新鮮な気分で読めました。古典的ではありますが、やっぱりおもしろい。反省しているようで、実は全然反省していない強盗紳士っぷりがたまりません。登場する他の人々も、それぞれ善悪あわせもつ人間らしい人間ばかりで、さすが「小説」の国フランスだなあ、と思いました。
対して、かなり読み返している3冊はミステリとしてなかなかできがいいし、ルパンが偽名で登場するのでルパン物というより普通に推理小説として楽しめるのがひいきの理由です。ちゃんと恋愛話も入ってるし。『バーネット探偵社』のあるエピソードはルパンがちょっとひどすぎると思いますが(笑) 『棺桶島』の荒唐無稽さはたまりません。すごく映画化に向く話だと思うんだけど、映画化されてないのかしら?

さて、そんなルパン物ですが、私の持っているのは新潮文庫のルパン傑作集です。なんと堀口大學の翻訳で、刊行は昭和30年代、つまり1960年台。堀口大學の訳は時代の香りがして、なんともたまりません。なんといっても、男性の第一人称が(年齢を問わず)「わし」ですもん。それでも、初版で地主階級の男の人を「田紳」と書いていたのを「田舎紳士」と直したりしたんだ、と訳者あとがきに書いてありました。今となっては、その多少の古めかしさがルパン物にはぴったりに思えます。原作自体書かれた時代も古いし、強盗紳士という存在がそもそも現実にはそぐわない空想的な存在なんですから。これでも翻訳を仕事にしている身なので、「この文章はどう訳すべきか」をいつも考えています。趣味で本を読んでいても、つい自分の頭の中で訳し直したり、原文を想像したりします。原文の存在を意識せずにすんなり読める、でも原文の意味には忠実な文章を書きたいものです。そういう意味でも、堀口大學ってすごいなあって思ってしまう。有名な詩の翻訳も、もとから日本語で書かれたかのような美しさですもんね。

さて、古い本には内容とはまた別の楽しみもあります。このルパン傑作集は初版を持っているわけではありませんが、それでも1980年代に印刷された本なので、けっこう焼けて年季が入っております。そして、(活字フェチの私にはここが重要なんですが)使われている活字が小さくてかっこいいのだ。昔(すなわち活版時代)の本は上品な活字を使っていました。同じ明朝系なんですが、今よく使われているものよりも縦長ですっきり。そして小さかった。この本は、10級の活字が1ページに43字x19行入ってます。最近新潮文庫は買っていないので直接の比較はできませんが、ちなみに刊行されたばかりの講談社文庫は12級の活字が38字x17行です。1ページあたりの文字数がなんと171字も違うのだ。最近の文庫がやたら分厚かったり、どんどん読めちゃったりするのは、実は活字のせいでもあるんですね。でもそれって、なんだか内容が薄い気がしちゃうんですよ。場所もとるし(切実……)。老眼になったら言うことも変わるのかもしれないけど、私は1ページにいっぱい文字が入ってる方がうれしいです。はい、時代に逆行してます。編集の仕事もしているので、たまに字詰めなども検討するのだけれど、自分の趣味と世の流れをすりあわせるのが大変なのだよ。

今は電子媒体で本を買ったり、インターネットでいろいろ読んだりできてしまうけれど、なんと携帯電話でもいろいろ読めてしまうらしいけれど、やっぱり紙で(しかも日本語の場合縦書きで)読むことは、内容の受け止め方にとてもよい影響があるように思えてしかたありません。心理学者ではないので実験して検証することはできないですけどね。単に情報を得るだけなら媒体がなんだろうとかまわないし、横書きのほうがよい場合も多い。でも、フィクションを楽しむときには、やっぱり本の形で、縦書きで、しかもできれば活字や紙の色がしっくりくるほうがいい。内容に没頭できるし、うまく説明できないけれど、心の奥深くまで入ってくる気がするのです。しかも、寝ながら読めるしね!

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強盗紳士 (新潮文庫―ルパン傑作集) これだけ30年前と装丁が変わってなくてびっくり。
ルパンの告白 (新潮文庫―ルパン傑作集)
バーネット探偵社―ルパン傑作集〈7〉 (新潮文庫)
八点鐘―ルパン傑作集〈8〉 (新潮文庫)
813 (新潮文庫―ルパン傑作集)
813 (続) (新潮文庫―ルパン傑作集)
棺桶島 (新潮文庫―ルパン傑作集)

2009年3月20日金曜日

クルーガー『二度死んだ少女』

原題"Blood Hollow"。
アメリカ原住民のオブジワ族の血をひく元保安官コークが主人公の小説です。ミステリとしてもそれなりに整っているし、登場するオブジワ族の文化のなんとも魅力的なこと。オブジワ族の魔術師ヘンリー・メルーがすばらしいです。なつかしのカスタネダの著作が思い出される部分も。コークのシリーズはこれが第4作目になるのだけれど、やっぱり順番に読むとより感慨深いものがあります。本作では、オブジワ族の文化に並んで、カトリックの教義もわりと大きく取り上げられています。

さて、本筋とはちょっと離れて思ったこと。
今仕事の関係でいろいろ調べ物をしているのですが、その中で「民主主義国家同士は戦争をしない」という学説を知りました。言いたいことはすなわち「ほら、日本とかも第二次世界大戦後に民主化されて脅威じゃなくなったろ? だから社会主義の国とか独裁政治の国は民主主義にしてやるのがよろしい」っていう、アメリカ合衆国の民主主義の保護者・伝道者としての活動を支持するような言説なわけです。
"その論理はなんか納得いかない "って思うんだけど、反論しても言い方ですり抜けられてしまいそうな気がする微妙な学説です。あ、今思いついたけどインドとパキスタンの小競り合いとかはどうなの? あんなの戦争という規模じゃないってこと?まあ、その辺りは今回言いたいことじゃないので詳しく考えるのは後回しにして、 とにかく

 そんな風に「民主主義」を信奉している国で、
 例えば本書のように、キリスト教的な宗教心の篤さが強く語られる、
 実際にも、宗教的活動が非常に盛んである、

つまり、アメリカ合衆国ってプラグマティズムの国なのに、実は世界一本気で宗教信じてるよね?という、矛盾とも思えるような現象が、なんとも不思議だなあ~と、素朴に感じたわけです。実は以前から思っていることなんですが、また改めて感じられました。でも、その理由はなぜなのか考え出すと大変なのであんまり考えません(爆)

とってもおもしろい小説だったのだけれど、「おもしろかった」と思うのと同時に、 ちょっと違うことを考えさせるものがあり、ちょっと書いてみたくなったのでした。 あ、それがすなわち複合的なおもしろさなのでしょうか。

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二度死んだ少女